余白が愛おしい『君と僕。』

 

 

あまり漫画を読まない人生を送ってきた。

読んだ時に「好きだな」と思うのは画面の描き込みが多い漫画、映画のように読めてしまう漫画の2種が多い。

 

そんな自分のテンプレ好みに当てはまらないけど人生でいちばん好きな漫画が堀田きいち先生の『君と僕。』だ。

 

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君と僕。』は5人の男子高校生を軸に進むほのぼの漫画。日常系ともまた少し違う気がする。なんというか、漫画に漂う空気が絶妙に独特。笑えるところは笑えるし、学生ならではのほろ苦さもある漫画なのに日常系に分類するには気が引けてしまう。

 

君と僕。』は画面の描き込みが多い漫画ではないし、映画のように読めてしまう漫画でもない。どちらかというと、画面に余白が多い。

 

しかし、この余白がいい味を出している。

 

バクマン。』が画面の描き込みの多い漫画の楽しさを教えてくれた漫画だとすると、『君と僕。』は余白の愛おしさを教えてくれた漫画である。

 

この余白は登場人物の感情を推察するだけでなく、多くの読者が自分の青春時代を重ねることを可能とする。

 

君と僕。』の16巻・17巻が発売されるとなった時にTwitterで多くの人が「『君と僕。』は青春」と呟いていた。漫画の中のような日常はないのかもしれないけれど、それでも日常の中のふとした瞬間に小さな幸せがあることをこの漫画は教えてくれる。そこに、どうしても自分を重ねざるを得ないのだろう。

 

初めて『君と僕。』を手に取った中学生の頃、既にこんな世界が現実にあるとは思ってはいなかったけれどすぐに自分の中でいちばん好きな漫画になった。同級生達が読んでいて話題合わせのために読んできた漫画とは全然違った。細い線、描き込みの少ない画面、分かりやすい群像劇、そしてテンポよく進むストーリー。この世でいちばん優しくてあたたかい群像劇だと思う。そしてそこにある余白が我々に、我々のストーリーをも想像させる。

 

11巻から初版で買っている。

発売日にわざわざ街のアニメイトに出向いて透明のブックカバーをつけてもらうのが楽しみだった。

15巻はちょうど彼らと同じ高校3年生受験期の夏で街に出る余裕がなく、初めて地元の本屋で『君と僕。』を買った。ブックカバーは勿論その本屋の茶色いものだった。

受験期など関係なく家に帰ってすぐにページを捲った。現実での日々も青春であったのは事実だが、漫画の中にまた、もうひとつの青春があった。

 

15巻の発売から7年、『君と僕。』を買い始めてから約10年。

 

買い始めた頃は彼らと同じ歳だったのに、いつの間にか彼らを追い越していた。

 

しかし、7年経っての新刊であったとしても、『君と僕。』を開けばたちまち気持ちは青春時代へとタイムスリップする。

 

やっぱりいつ読んでもここに、も、青春はあるし、余白の愛おしさは変わらないんだなあ。