サワー、ソーダ、サワー。

「カラオケでメロンソーダサワー飲んでたら吐きそうになって~」

聞こえてきた大学生の会話。よく見たら大学生じゃないかも、ショッピング帰りのカップルぽい。

 


ところで。

 


ゆずサワー←わかる

レモンサワー←わかる

メロンソーダサワー←??

 


炭酸を表す単語が2つ?「メロンサワーサワー」「メロンソーダソーダ」みたいな。

 


でもメロンサワーよりメロンソーダサワーの方が美味しそうなんよなあ、なんかその方が惹かれる。「メロンソーダ」というメロンの味が1ミリもしない炭酸飲料が美味しいのを知ってしまってるからかなあ。目の前にメロンかメロンソーダがあれば間違いなくメロンを選ぶのに、「メロンサワー」か「メロンソーダサワー」だとメロンソーダサワーを選んでしまいそう、弱い。

6年前にセトリ落ちした「KISS Diary」に票を入れたいけど入れられない

2016年の夏、ツアー開始1日前にアルバムを発売してそのアルバムを引っ提げてツアーをするというカツカツスケジュールでツアーを行ったHey! Say! JUMP

 

当時フラゲで2日前にアルバムをゲットし、初日公演に当たっていたので死ぬ気で2日で全曲覚えた。アルバム「DEAR.」はそれまでの元気いっぱい明るいアイドルHey! Say! JUMPという世間のイメージを覆すような、大人路線に舵を切りかけている曲が多かったのが印象的だった。個人的には元気いっぱい!というよりも、大人路線に向かいつつある曲の方が好きだったので当時から大好きなアルバムだし、今でも結構聴いている。

 

アルバム曲も良い曲が多く、どの曲も聴きたい!とコンサートに向かったが、びっくりするほどアルバム曲がセトリ落ちした。タイアップがあるアルバム曲ですらセトリ落ちしたため驚きを隠せなかった。コンサート自体はすごく楽しかったけど、特に聴きたかった「ドリームマスター」と「KISS Diary」が聴けなかった悲しさをコンサートの楽しさで覆い隠して帰宅した。

 

それから「DEAR.」のセトリ落ち曲がコンサートでされることもなく……

 

6年後の今になって、そのセトリ落ち曲がついに日の目を浴びる機会が来た。

 

選択肢が用意されている中から聴きたい曲を選んでください、というアンケートが初の試みとして行われ、その中に「KISS Diary」の文字が。

 

もう迷わず「KISS Diary」に投票したいのだが、この曲の1番の醍醐味と言えば落ちサビの八乙女光ソロパート。初めて聴いた時にあまりの優しい歌い方に鳥肌が立ったし、今でも鳥肌が立つ。

 

八乙女光が活動休止中の今、「KISS Diary」をしても八乙女光の落ちサビを聴くことはできない。でも、ここで投票しなければもう二度と聴ける機会がないのかもしれない。こんな……こんな……こんな残酷なことがあるのか………………………

 

未だに投票できていない。ど、どうすればいいんだ…………

 

清楚な初恋の子に久々に会ったら派手になってて複雑になる感覚を再開発された駅に感じた

「昔の方が良かったのになぁ」

 

というのを聞く度に「いやいや今の姿も認めてあげようや」と思うけどその気持ちが少し分かった。

 

汚くて古くて真昼間から怒号と缶ビールのプルタブを捻るプシューッが響き渡る。

 

マジで治安の悪い駅だなと思っていたが、駅を出てすぐの商店街は人のあたたかさと治安が悪さが共存しているのを学生時代にこの街でバイトして知った。わざわざ用も無いのに用を作ってたまに行くくらいには、何も隠していないこの街にそこそこ愛着が湧いていた。

 

意味の分からないジジイに急に「目つきが悪い」と怒鳴られたり、優しいおばちゃんに励まされたり、かと思ったら知らんババアに「そのクーポン使うには~」と説明したら「こんな若い子になんでそんなこと言われなあかんの!気悪いわ!」と言われたので「いやこっちが気悪いわ」と返したのもこの街だ。(なんかあんまいい思い出ない気がしてきたな。)

 

それがどうした、再開発で駅だけ綺麗になってしまった。

ホームの柱も改札付近のゴミ箱もコインロッカーも全て緑に塗られて、ホームの壁には植物が描かれてデカデカと「自然と共存している駅ですよ!」アピールをしている、緑なのに落ち着きがない、落ち着いてくれ。

おまけに改札外には植物の写真が展示されまくってた。展示の前に点字ブロックを綺麗にしようや……いや、この唯一薄黒い点字ブロックを見ている時だけは安心できるからやっぱこのままにしておこう。

 

どうしたどうした、共存しているのは人のあたたかさと治安の悪さだっただろう。

こんな駅じゃ昼からビールも飲めない。

 

塗装の剥がれたきったねぇホームのイスもいつしか綺麗なイスに変わっていた。

 

ホームに電光掲示板が未だに設置されていないのが救いかと思ったが、自然と共存していますアピールなので電光掲示板が無いのかもしれないとか余計なことまで考えてしまう。

 

駅から1歩出れば知っているあの頃のままの商店街だった。ちぐはぐすぎて脳がバグる。

 

昔の方が良かったのになぁ

レモンエイド、悪い色

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飲み物コーナーで何よりも目を引く水色。

 

いかにも人工的な色をしている水色の正体はブルーレモンエイドというレモンスカッシュだった。

 

こういう見るからに身体に悪いものに弱い。

身体に悪いものは美味しい。コーラがその最たる例でどんな酒よりもコーラが美味しい。新鮮な果物も美味しいけど、もう元の果物の欠けらも無い変な色のグミだってサイコーだ。

 

 ブルーレモンエイド、ひと口飲んだ瞬間から染み渡る身体に悪い味。キンキンに冷やして飲んだのでレモンスカッシュならではの爽やかさとともに甘さが身体を駆け巡る。

 

高校生の頃ならすぐ飲めただろうけど今になるとこんな甘いもの1本は多いなあ。

 

 

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ピンクモモエイドというのもあるのか、買う……

 

綺麗にプリンを持ち帰りたい

永遠の課題すぎる。

 

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マジで綺麗にプリンを持ち帰りたい。

 

ファミマの40%増量キャンペーンに負けて、普段あまり買わないプリンをうっかり買ってしまった。

 

買わない理由は簡単。綺麗に持ち帰れないから。

 

コンビニでレジ袋が有料になってすぐの頃、エコバッグを持ってプリンを買いに行った。自転車3分のコンビニに行き、帰りも3分自転車を漕いだ。

 

帰宅するとプリンは倒れていて蓋が開いており、エコバッグの中は地獄。他の商品にも飛び散るプリン。

 

それ以降コンビニでプリンを買う時は絶対にレジ袋をつけてもらうようにしている。

 

今日も今日とてレジ袋をつけてもらい帰宅。

今日こそは綺麗に持ち帰れただろうと思ったのに結果はこの様。

 

こうなるとひと口目の緊張感のある表面にスプーンを入れるアレを体験できない、ひと口目をすくった時に既に「ドロッ」、かなしい。

 

マジで綺麗にプリンを持ち帰りたい。

余白が愛おしい『君と僕。』

 

 

あまり漫画を読まない人生を送ってきた。

読んだ時に「好きだな」と思うのは画面の描き込みが多い漫画、映画のように読めてしまう漫画の2種が多い。

 

そんな自分のテンプレ好みに当てはまらないけど人生でいちばん好きな漫画が堀田きいち先生の『君と僕。』だ。

 

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君と僕。』は5人の男子高校生を軸に進むほのぼの漫画。日常系ともまた少し違う気がする。なんというか、漫画に漂う空気が絶妙に独特。笑えるところは笑えるし、学生ならではのほろ苦さもある漫画なのに日常系に分類するには気が引けてしまう。

 

君と僕。』は画面の描き込みが多い漫画ではないし、映画のように読めてしまう漫画でもない。どちらかというと、画面に余白が多い。

 

しかし、この余白がいい味を出している。

 

バクマン。』が画面の描き込みの多い漫画の楽しさを教えてくれた漫画だとすると、『君と僕。』は余白の愛おしさを教えてくれた漫画である。

 

この余白は登場人物の感情を推察するだけでなく、多くの読者が自分の青春時代を重ねることを可能とする。

 

君と僕。』の16巻・17巻が発売されるとなった時にTwitterで多くの人が「『君と僕。』は青春」と呟いていた。漫画の中のような日常はないのかもしれないけれど、それでも日常の中のふとした瞬間に小さな幸せがあることをこの漫画は教えてくれる。そこに、どうしても自分を重ねざるを得ないのだろう。

 

初めて『君と僕。』を手に取った中学生の頃、既にこんな世界が現実にあるとは思ってはいなかったけれどすぐに自分の中でいちばん好きな漫画になった。同級生達が読んでいて話題合わせのために読んできた漫画とは全然違った。細い線、描き込みの少ない画面、分かりやすい群像劇、そしてテンポよく進むストーリー。この世でいちばん優しくてあたたかい群像劇だと思う。そしてそこにある余白が我々に、我々のストーリーをも想像させる。

 

11巻から初版で買っている。

発売日にわざわざ街のアニメイトに出向いて透明のブックカバーをつけてもらうのが楽しみだった。

15巻はちょうど彼らと同じ高校3年生受験期の夏で街に出る余裕がなく、初めて地元の本屋で『君と僕。』を買った。ブックカバーは勿論その本屋の茶色いものだった。

受験期など関係なく家に帰ってすぐにページを捲った。現実での日々も青春であったのは事実だが、漫画の中にまた、もうひとつの青春があった。

 

15巻の発売から7年、『君と僕。』を買い始めてから約10年。

 

買い始めた頃は彼らと同じ歳だったのに、いつの間にか彼らを追い越していた。

 

しかし、7年経っての新刊であったとしても、『君と僕。』を開けばたちまち気持ちは青春時代へとタイムスリップする。

 

やっぱりいつ読んでもここに、も、青春はあるし、余白の愛おしさは変わらないんだなあ。

 

 

 

 

 

文字にする

文字にする習慣がどうもない。

 

考えをぼやっと自分の中で煮詰めてそこで終わる。

せっかく煮詰めたものも出荷しなければそこで腐敗していくだけなのに。

 

昔はパソコンからしかブログを更新できなかったのに今やスマホでブログを更新できるんだから時代の流れを感じる。今もなんかちょっと変な感じでムズムズしている。アプリから更新できるなんて。

 

そもそもスマホで長文を打つことに抵抗があるのかもしれない。

 

パソコンからの更新をメインにしようとしていたけど、スマホから更新できるように頑張ろうかな。